ライフコード

なぜ最近の流行歌は聞き取れないのかという原因を探ると

通信速度の変化

今回のテーマは40歳以上の方なら納得されるかも知れない。しかしそれ以下だと、何を年寄りの戯言と一笑されるかもしれない。。。

昔、僕たちが学生の頃サザンオールスターズを聞いていると、母親は「何を歌っているのかわからない」と言っていた。当時はもう母親も年取って聴力が弱まったのか、今のリズムについて来れなくなったのだろうと思っていた。

しかし、今街で流れてくるオリコン上位の曲が聞き取れないという事に気が付いた。「何を歌っているのかわからない」昔母親から聞いたフレーズが、今は自分ごとに蘇ってくる。

はて。。。

話は変わるが、僕はインターネットをメインとしたノウハウや技術を起業した人たちに教えるということを今は生業(なりわい)にしている。

その中で頻繁に感じることは、若い人たちの理解力の低下だ。つぶさに観察していると40歳を境にそれは顕著になるようだ。(僕的観察)

なぜ理解力が低いと思うのかと言えば、同じことを教えてもそれを活かしすぐに出来る人もいる。が半面、何度教えても出来ない人もいる。

この違いは何かとずっと考えていた。

そして辿り着いた答えは、出来る出来ないの以前に、僕が伝えることを理解している理解していないのが原因なのだとわかった。当然理解出来ていないと、それを実行出来ない。

理解力の不足。

そしてその理解力のギャップがなぜ起こるのかと原因を探るうちに「集中力」の度合いが原因なのだということもわかった。

当然集中力のある人の方が理解力もある。逆に無いひとは人の話の本質を掴むことが出来ない。その理解力の無さは何もビジネスにおけるだけでなく、日常生活の常識という処まで波及する。

「え、そんなことするの?」「え、そんな事を平気で言うんだ」

と驚くような言動をするまでに及ぶ。

要は、物事を深く考える能力の低下である。

最初はこの理由を、今の暗記優先における教育が問題なのだと仮説を立てて考えてみた。が、暗記優先の教育は戦後からはじまっており、僕たちが学校で教育を受けていた時も暗記ばかりの学習だった。今とそう変わりはない。

だったらどこに問題があるのだろう。

長く答えは見つからなかった。

しかし最近読んだ本の中に、インターネットの進化は「通信速度の進化」に比例して急速に伸びた。という一節があり、ハッとした。

この触媒が僕の頭の中に入ってきたことにより、それまで関係性の無かったフラグメント(断片)がすべて一瞬に繋がった。

・今流行りのアーティストの歌詞が聞き取れない
・いくら説明しても理解出来ない人
・常識を疑うような事を平気でする人
・etc…

「通信速度の進化」を基に考えると、納得いく理由がわかった。

時代の変換

僕は今55歳であり、僕たちの年代はその生きている中でインターネットなり携帯電話というものが突如現れた。そして、それを使う内に生活習慣やら人との交流の在り方が違ってきた。ということを体感している。

しかし今の40歳以下の年齢というものは、生まれながらにしてインターネットの環境はあり、早ければ中学生でマイスマートフォンを持っている。

そしてその携帯電話は、当初の頃に比べて何が一番違うのかと言えば「通信速度と通信容量」だ。今では大量のデータも高速回線で瞬時に送れる。動画という昔ではやっとのことで数分見れたものが、今ではストリーミングで簡単に滞りなく見れる。ISDNの頃から、考えれば凄い進化だ。

もっと極端に言えば、僕たちが生まれた頃、幼い頃というのは電話すら無かった。こんなことを言えば、若い人たちからいつの時代の人間だと言われそうだけど。。。敢えて言おう。

僕はこの育った「環境の違い」で、人間そのものが変わったと思うようになった。

解りやすい例として「待ち合わせ」という状況を考えよう。

僕たちがまだアナログにどっぷり浸っていた頃、人との待ち合わせにはとても気を使ったものだった。即時の連絡手段が無いものだから、事前にかなり用意周到にお互いが準備していなくては会うことが出来ない。

時間はもちろん、落ち合う場所も「どこそこの喫茶店の前」みたいにピンポイントでお互いが把握して置かないと落ち合えない。

特に好きな者同士の恋人などの待ち合わせは、それこそ必死だった。会えない場合は現場でリカバリー出来ることはそうそう無いので、何度も何度も場所と時間を確かめ合った。

しかし、今の若い人たちは会うと言っても大よその時間に大体の場所だけを決めるらしい。「あとはLINEで」とか「時間になったらメールする」くらいのアバウトらしい。そして落ち合う時間になると、お互いがLINEなんかでパッパッと連絡し合い、上手く会うという寸法だ。

まあ、僕も今となれば御多分に漏れずそうしている。

携帯電話が無かった頃を経験している人は、その頃の友達との交流状態を考えてみて欲しい。会えない時間、会えない日の方が当然はるかに多かった。けど、今はどんなに離れていてもfacebookみたいなツールで、リアルタイムで相手が何をしているのかという状況もすべてわかる。

ということは、分かってしまうのだから推測したり思い描くという事をしなくて済むようになったということだ。

昔流行った流行歌で「会えない時間が愛育てるのさ♪」という、相手を知りえない時間というのがそもそも無くなったんだ。

これは当然すごく便利になった、とは単純にわかる。

しかし、便利になった分知らずに無くしているものは無いのだろうか?

昭和歌謡

昭和歌謡、と聞くと随分年代的なビンテージ感をイメージする人もいると思う。僕たちの年代は、それはとても情緒があり風情的な奥深さを感じる人もいると思う。

では情緒なり風情というのは何かと言えば、それは言外からふつふつとイメージするもの。そのメロディーや歌詞以上に伝わってくるイメージ。なんかが僕にはある。

では、今のJポップという言われる表現はどうかと言えば、昭和歌謡から比べると随分に少なくなった。と僕は思う。

では、一体何がそうなったかという事だ。

これは僕の推測だけど、歌そのものの作り手と、その創作過程が違ってきたのだと思うのだ。昭和から平成の初期の黄金期。。。

Jポップとは違い歌謡曲と呼ばれる今は昔、その楽曲の作り方にしろとてもアナログ的なものだった。作り手は作詞家、作曲家、歌を唄う人と明確に分業化されていた。

素晴らしいメロディーを書き、そしてそれに素晴らしい歌詞が乗り、素晴らしい歌手が表現する。凄腕の職人たちが集まり、一つの芸術を作るイメージだ。

筒美京平が創る旋律には、阿木燿子、松本隆、阿久悠他の作詞家らが詩をつけて数々の名曲を生んだ。「魅せられて」「スニーカーぶる〜す」「ブルー・ライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「ロマンス」「木綿のハンカチーフ」など限りない。

阿木燿子の作詞は、さすが女性的な陰陽がありパンチの効いた曲が多い。「横須賀ストーリー」「DESIRE -情熱-」「魅せられて」「微笑がえし」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

それらにはどれもドラマがあり、そこから見える登場人物の息吹さえ感じられたものだった。

では、今のJポップにはそういう息遣いが無いのか、と言えば当然ある。だから世の若い多くのファンを掴んでミリオンヒットも出す楽曲もあるのだ。

では、そういう人気のあるJポップの楽曲が昔感じた歌謡曲と同じような深い感慨があるのか、と言えば僕にはあまり無い。

それは年のせいだと言われるかもしれないが、敢えてその部分をさらに分析してみよう。

コミュニケーションツールの進歩

昔の歌と今の歌の違い、これは歌そのものの作り手と、その創作過程が違ってきたのだと思うのだ。昭和から平成の初期の黄金期と今のJポップ。。。

昔は前述したように、作曲家、作詞家、歌手というように全くの分業制だったのがシンガーソングライターという曲も詩も歌も自作自演する人が出てきた。

もっとも代表的なのは、中嶋みゆきでありユーミンが筆頭だろう。そして二人はニューミュージックの代表歌手となる。

その後、その手法を使った若い人たちが自分で曲を作り歌詞を乗せて表現するようになる。そして今は、そういう形が主流にもなっているように思う。

その創作方法に間違いがあるというのではない。どんな作り方をしても、いい曲が出来ればいいのだ。

ここでの重大な違いは、現在の若い人たちは冒頭で言ったようにインターネットの申し子であり、生まれた時からスマホが普通にあったということ。

そういう若い人たちは、待ち合わせでドキドキしたり前の晩から眠れないワクワク感を僕たちのように感じる必要がなかった子たち。ということ。

インターネットの進化は「通信速度と通信容量」の進歩による。

この結果何が起こるかといえば、人同士のコミュニケーションのスピードも速まったということだ。これが最重要。

これも笑われそうな話だけど、僕たちの子供の頃の遠方の友達とのコミュニケーションツールは手紙だった。それを頻繁に繰り返す友達との行為を「文通」と言った。

好きな女の子とする文通の、返事を待つ日は考えられなく長かった。

しかし今ではそんな話は、時代的な古文書にでも書かれているのでは、と若い人たちからは言われそう(^^)

いや、とにかくそうだったのだから仕方ない。

今ではその行為はどうかと言えば、若い人が一番使っているLINEではものの数秒で返事が来る。そしてまた便利なことに、自分が送ったメッセージを相手が読んだのか、まだななのかを知る「既読」機能というものまで存在する。

距離には関係なく人間同士のやり取りは、僕らの時代では数日掛かっていた行為が今ではもう数秒で行えるのだ。

これをコミュニケーションの進歩と言わずに、なんと言えよう。

とにかく、そういうことなのだ。

お互いのコミュニケーションに数日費やしていた人たちと、瞬時にやり取りが生まれた時から出来ていた人たちでは、もう別人種と考えてもいい。

さらにこの二種類の人種では、何が違ってくるのかと言えば「思考」の違いが生まれる。これが僕が長文で書いている「大テーマ」なんです。

インターネットの進化は、コミュニケーションのスピードを速め、最終的には人間の「思考」「感覚」を変えた。ということです。

次には、その両者の思考の違いを考察していきます。

コミュニケーションの未来

facebookとかLINEとかいうコミュニケーションツールなど無かった時、お互いの意思疎通は今よりも時間が当然掛かった。相手から何某かのメッセージを貰ってもすぐには、それに対する意向が伝えられない。

電話というものは後から出てきたけど、今ほど手軽には使えなかった。

とにかく今は相手へ必要があれば、すぐにコンタクトが取れる。facebookなどを活用していれば、リアルタイムで気になる人の行動もチェック出来るようになった。

一番スピード化したのは、お互いのコミュニケーションのスピードだろう。

しかし、何事も早ければすべて良いというものではない。

お互いが物理的に会えなかったり連絡出来ない期間があるということは、そこに相手の事を色々と思慮する時間が持てたという見方も出来る。

今のように現場で瞬時に連絡が取り合えない昔は、絶対ミスすることのないように知恵を色々と働かせもした。

「今頃、あの人はどうしているのだろう」と、相手を思いやる時間も十分持った。

コミュニケーションがリアルタイムで取れる今はどうかというと、気になればすぐにLINEを打てばいい。より時間が無い時には、スタンプで今の気分を伝えるというイージーな方法すらある。

より仲のいい間柄では、スタンプの応酬でも意味が通じる。

スピードコミュニケーションでは、早い替わりに少しでもレスポンスが遅いとなると「どうしたのだろう?」とすぐに気になる。急に忙しくなったのか、自分のメッセージが気に障ったのか、果たして自分のメッセージよりも大切な人と会っているのか。

スピードが速くなった替わりに、相手からのレスポンスに対してより過敏になってきた傾向もある。

まとめるなら、このスピード化したコミュニケーションツールにより、自分から発する相手へのメッセージがイージーになってきたことで、自分が思うことをすぐに相手に伝えられるようになった。そしてその反応も、相手へすぐに要求する。

そこには、じっくりと考えるという「時間」が以前よりも少なくなった。

自分が思ったままをその場で伝える。

そう、今の人は熟考するという行為が薄れてきたのだ。

そして仮に疑問に思うことがあっても、ネット検索すれば誰かがすでにその問題に対して見解を述べている情報をすぐに探すことが出来る。そこにも自分で考えるという、面倒くさい行為を取らなくてもいい仕組みとなっている。

こういう情報のスピード化した背景があり、その環境に人は知らず知らずの間に慣れてきた。とくに生まれた時からインターネット環境があった人などは、もうそれが当たり前の生き方としてある。

だから今の若いアーティストたちは、その生き方の中で表現をするので言葉があまりにも短絡的過ぎるのではないか。言葉が浅い。

今思うことをラップ調の曲で、機関銃のように発信する。日々思っている、感じている日常言葉をメロディーに乗せる。

その環境しか知らない人たちには、それ以外の思考はないのだから、その表現でもおかしくないし、自分たちがしている日々の行為なので違和感なく受け入れることが出来る。

しかし、合瀬の約束事を現場調整など出来なかった僕たちの時代の人間にとって、それらのアーティストたちが表現する言葉は、こちらに入って来ないのだ。

いわば喫茶店で隣席する女子学生の会話は音として聞こえてくるが、その内容などは全然記憶に残らない。というのと似たようなもので、日常の会話程度にしか、今の多くのアーティストたちの表現は聞こえて来ないのだ。悲しいかな僕たちには。

それが今のJポップを歌うアーティストたちの歌詞が聞こえない、という大きな理由だと思う。

当然スピード化したコミュニケーション、プラス自分で考えることなく答えは検索すれば自分が得たいような答えは見つけることが出来る、という中で生きていれば、当然自分で熟考して何かを導き出すという事も皆無となる。

これが理解力の低下の大きな原因だと僕は最近思ってきた。

理解力の低下と、深い表現が出来ない。

それは紛れもなく、通信速度の向上がもたらした弊害だと僕は思う。

昔、人間は「言葉」を発明したと同時に、その言葉で自分を「偽る」という行為を覚えた。そしてその言葉で自分を偽るということをし続けた結果、自分自身を見失う結果になってしまった。という説を以前書物の中で読んだが、まさにそれに通ずるように思う。

人間は常に進化していく生き物である。

しかし、それと引き換えに同時に大切なものを知らずに失いもする。

今後このスピード化は益々速くなると思う。

それが良いのか悪いのかは、どちらともいえない。

が、それを意識しているか、無意識にその流れに流されるのかは、大きな違いだと僕は思う。

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